ちょっと曲がった家

変形地×設計事務所で、思い通りの家を建てました!

阪神淡路大震災から25年

阪神淡路大震災について書かれていた記事を読みました。
それが手掛かりになったのか、普段は思い出さない事がふと心に浮かんだので書き留めておこうと思います。

ロウソクの灯りのイラスト

25年前の1月の生活

よしこさんのブログ(↓)を読んで、被災した後の生活を思い出しました。。。

kaedenote.hatenadiary.jp

震災直後から水道が復旧するまでの間は神戸の町のあちこちに水くみ場が出来ました。
(水道管から直接水を汲めるよう、水道局の方が蛇口を設置してくれたのです)

毎日のようにゴミバケツをくくり付けた台車を押して、水くみ場まで水を汲みに行く生活が続きました。
私の家に水道が復旧したのが数週間後か、1か月かかったのか…記憶があいまいですが、清潔な飲み水を確保するのは本当に大変だったと記憶しています。

震災で亡くなった人たち

つい最近読者登録したのんちさんも↓

nonchi1010.hatenablog.com

香川に住んでいると、私の出身が神戸だと言うと「震災は大丈夫でしたか?」と、時々聞かれることがあります。
そういう時、家族や友人の中で亡くなった人がいないので「身内や友達は全員無事でした」と答えています。

でも本当の意味では、私の知り合いみんなが無事だった訳ではありませんでした。。。

子どもの頃よく遊びに行っていたお家のN子おばちゃんは、家の下敷きになって亡くなりました。
家族ぐるみの付き合いだったので、幼いころは親戚だと思っていたのですが、私が大人になってから血縁はないけれど祖母が姪のように可愛がっていた人だと聞きました。

いつもニコニコしていて、おしゃべり好きだったN子おばちゃん。
遊びに行くと、従妹のように接してくれた娘さんたち、幸せになっているといいな。。。

短大の時にバイトしていたケーキ屋で、一時期一緒になったOさん

私とそう変わらない年齢なのに少し大人びた雰囲気で、腰まである長い髪と、人懐っこい笑顔が印象的な人でした。

たまたま1日一緒に働いたとき、児童養護施設の出身でお兄さんとアパートを借りて暮らしている事。
そのアパートが偶然私の実家の近くらしい事などを聞きました。

その後、私が就職でバイトを辞めてしまってOさんとはそれっきりでしたが、震災が起きて一通り後片付けが済んだ頃になって、近所の古い木造アパートで身寄りのない兄妹が亡くなった事を噂で聞きました。

亡くなった兄妹はおそらくOさんじゃないか…という確信に近い推測
あくまで推測なので、誰に言う訳でもなく心の中に留めていて、こうして1月17日になると時々思い出します。

私の推測が外れていて、実際のOさんは神戸のどこかで幸せな家族を築いているんじゃないかという期待も込めて、25年目の節目に書かせていただきました。

toniho.hatenablog.jp

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